「今日、オムツ替えたよ!」「俺、お風呂入れたし!」
ある日、夫が誇らしげにそう言った時、私はつい笑ってしまいそうになった。そして同時に、なんとも言えないモヤモヤが胸に残った。
「うん、ありがとう。でも、それって“育児をやった”って言えるほどのことなのかな?」
育児の大変さ、見えてる部分と見えてない部分。そのギャップは思っていたよりも大きかった。
「育児に参加してるつもり」のパパ
最近は「イクメン」という言葉も広まり、パパの育児参加が当たり前になりつつある…とはいえ、現実はまだまだ「やってるつもり」のパパが多いように思う。
たとえば私の夫。
平日は仕事で忙しいながらも、週末は子どもと遊んだり、お風呂に入れてくれたりする。正直、助かっているし感謝もしている。でも、「俺だってちゃんと育児してるよ!」と言われると、なんだか違和感があるのも事実だ。
というのも、彼がやっているのは「目に見える育児」だけなのだ。
見えない育児、してますか?

育児には「見える部分」と「見えない部分」がある。
- 見える部分:オムツ替え、ミルク作り、寝かしつけ、遊び相手など
- 見えない部分:食材の買い出し、離乳食の準備、予防接種のスケジュール確認、衣替え、おむつやミルクの残量管理、成長に合わせた服や靴の準備 など
この「見えない育児」は、やっていても“やっているように見えない”し、周囲からも評価されにくい。だけど、毎日この細かい気配りと準備があるからこそ、子どもとの生活がスムーズにまわっている。
夫は「今日は俺がオムツ替えたよ!」と一言で言えるけれど、私は「そもそもオムツが切れそうなのに気づいて、買いに行って、収納しておいた」のだ。それを誰も気づいてくれないだけ。
「ありがとう」は言われなくても、「当たり前」にはしてほしくない
育児って、誰かが評価してくれるわけでも、成果が数字で出るわけでもない。だからこそ、夫婦間での「理解」と「共感」が大切だと思っている。
夫は、私がやっていることを「当たり前」と思っているわけではない。ただ、気づいていないだけ。それが問題だ。
「気づかない=やっていないのと同じ」
そう言い切ってしまうのは厳しいかもしれないけれど、育児を“チームプレー”だと考えるなら、相手の負担に気づくことはとても大事なことだ。
“育児タスク見える化”でわかったこと
ある日、思い切って「1日の育児タスク」を紙に書き出してみた。すると、こんな感じになった。
- 朝食の準備
- 子どもを起こす
- 着替えさせる
- 朝食を食べさせる
- 保育園の荷物確認
- 連絡帳を書く
- 保育園に送る
- 洗濯を回す
- 買い出し
- 離乳食の作り置き
- お昼寝のタイミングを見計らう
- 絵本読み聞かせ
- 外遊びの準備と片付け
- お風呂準備
- 寝かしつけ
…などなど。
一つひとつは些細なこと。でも、積み重なるととてつもなく大きなエネルギーが必要だと気づいた。
このリストを見た夫はしばらく黙っていた。そして、「俺、全然わかってなかったね…」とポツリ。
そこから少しずつ、我が家の“育児チーム”に変化が生まれ始めた。
パパの「やる気」と「気づき」は宝物
すべてを完璧に半分こ、なんて無理だと思う。それぞれの得意・不得意もあるし、仕事や体調、生活スタイルだって違う。
でも、「見えていなかった部分に気づこうとする姿勢」や、「ありがとうって言葉を忘れないこと」それだけでも、パパの存在はぐっと頼もしくなる。
夫も、今では自分から保育園の持ち物チェックや、週末の食事メニューを考えてくれるようになった。オムツの在庫も確認してくれるし、寝かしつけが終わったあと「今日もありがとう」って言ってくれる。
ちょっとした変化だけど、それだけで私の気持ちは全然違う。
「育児は一緒にするもの」って、やっぱり嬉しい

“育児をやってるつもり”から、“一緒に育ててる実感”へ。そこにあるのは、特別なスキルでも知識でもなく、日々の小さな気づきと歩み寄り。
忙しくて余裕がない日もあるけれど、互いを思いやりながら子どもを育てる過程は、きっと家族の絆を強くしてくれる。
最後に:パパへ
「育児をやってるつもり」で終わらないでほしい。
ママは、あなたと“育児を分かち合いたい”と思っている。
だからこそ、たまには気づいてほしい。
ママがどれだけたくさんの“見えないタスク”をこなしているかを。
そして、気づいたらぜひ一緒に考えて、一緒に動いてほしい。
育児は、ママだけががんばるものじゃない。
“パパと一緒にがんばれる”って、それだけで心強いのだから。